モームへ

 ※かなりの長文です。時間がある時にお読みください。念のため。

 

 

 

 

 

 

 『モームへ』

 

 自分の居場所について、人生の中で絶えず探し続けていたように感じています。自分が故郷にいた頃、ぼくは外に出ることなどただの一度も考えたことなどありませんでした。自分にとって故郷はそこそこに居心地が良い場所でしたし、家に帰れば食事があり、家族があり、外に出たところで友人がいて、ある程度の充足が当然としてありました。

 縁あってこの街に引っ越してきた時、実を言うと最初は乗り気ではありませんでした。離れて見て初めてそのものの価値がわかるとはよく言われていますが、この街で初めて過ごした1日は非常に長いように感じていました。素朴な疑問なのですが、この感覚は全人類共通のものなのでしょうか。それとも日本人に特有のものなのでしょうか。

 もし後者であれば、ひょっとしてあなたはそんなふうには考えなかったのかもしれないですね。

 この街に慣れてきた頃、急速に、色々なことがあまりにも鮮明にぼくの前に迫り始めました。その大部分は故郷に関連したことです。それはあまりいいものではなく、時として自分に対する暴力にすらなり得るものでした。自分自身に自分が傷をつけられている感覚は、かれこれ10年ほど味わってきていますので、今更驚きなどはありませんでしたが、その質が違っていれば、当然自分にはその耐性もないので、最初の三ヶ月が過ぎた後は、正直ひどく傷ついて参っていました。

 それと同時に、ある時ふと、ぼくがこの街に対して、あまりにも抵抗を持っていないことにも気づきました。無防備、と言ってもいいかもしれません。まるで自分が生まれてからこれまでずっとこの場所から出たことがないような、本当に奇妙ですが、非常に優しい安心感がぼくを包んでいるのを発見した時、たいそう驚きました。「そんなに自分は故郷が嫌だったのか」と、人知れずショックを受けていたりもしていました。

 そんな時に、あなたの小説と出会いました。

 

 文学など、自分のように頭の悪い者には一生わからないのだとタカをくくっていました。とても高尚であるというイメージを抱いていましたし、実際に手にとって見ても難解なものが多いように感じていました。幼少の頃からそれなりに本は読んでいましたから、本そのものに対して抵抗などは皆無です。ですが、やはりはっきり「文学」と名のつくものに対しては、どこか敷居の高さを感じていたように思います。

 ところが、あなたの「月と六ペンス」を手にとって仰天しました。「この人、なんで全部ぼくの言葉で書いてくれているのだろう」。冗談でもなんでもなく、まして奢りなどでもありません。あなたは出会ってからこれまでずっと、すべからくぼくの言葉で、ぼくよりも何十倍、何百倍も美しく、そしてさらに何十倍、何百倍も優しく語ってくださいました。すぐに購入して一気に読みました。その中で、ぼくを救ってくれたのはあなたのこんな言葉です。

 

 「生まれてくる場所を間違える人間もいる。ぼくはそんな気がする」

 

 背中を押しているわけではないのでしょう。それは十分、承知しているつもりです。あなたはそんな人ではない、とも思っています。心の底から誰かの背中を押して、自己犠牲を厭わず他人に協力することが、いったいどれだけ難しいことなのか、あなたはその生涯において十二分に熟知してこられたのだと思います。だからこそ、あなたは現象を語り始めた。「現象」。今この瞬間に、この現象が、間違いなくここに存在するということ。たったこれだけ、あなたが語ったのはこれだけです。ですがその言葉に、ぼくは間違いなく、はっきりと救われました。

 今年に入って、ぼくは初めてあなたに向けて曲を書きました。ずっと本ばかり読んできた小僧が、まさかあなたに向けて曲を作るなんて、自分でも思ってもみなかったことです。あなたもまさか、自分の故郷から遠く離れた異国の民が、自分のことを思って曲を書くなんてことがあるなど、想像すらしていたなかったと存じます。なかなかに気持ちの悪い人間です。それは自分がよくわかっています。

 「ブラックスタブルまで」。ぼくの作った曲の名前です。そしてこれは、あなたの街の歌なんです。ぼくは相変わらず、夏に背を向けたまま佇んでいるこの街に逃げ込む機会が一向に減りません。なぜならそこにはジョージ殿がいます、ロウジーもいます、当然その隣ではテッドだって笑っていますし、ドリッフィールド家では芸術談義が尽きません。そして彼らは、ぼくがそこにいたからといって、よそ行きに表情を変えることもありません。傷つき、泣きたいのにうまく泣けない、どころか、日々の癖でここでは笑わないといけないのだと思い込み、無理やり顔を引きつらせる時だって、彼らは何も言わずに微笑みながら、ゆっくりと頷いてくれます。そんな気が、確かにしているのです。

 この曲を作っている最中、実はずっとあなたが後ろにいるような気がしていました。作り手として精一杯、あなたに届くように作ったつもりではありますが、実際にはそれほど期待はしていません。どこの馬の骨かもわからない若造が作った曲があなたに届くと思うなど、それこそ少しおこがましいことだ、とも思っています。なので、当分はブラックスタブル中を、自転車をこぎながら周る時に聴く、自分のBGMの一つとして聴いていこうと思っています。

 あなたにはどれだけ感謝してもし足りないくらいですが、こんなことを滔々と書き続けてもおそらくキリがないので、これくらいにしておきましょうか。今回、あなたの曲を、ぼく以外の人たちに聴いてもらえる機会に恵まれました。どのような反応があるのかはわかりませんが、ぼくは気にしやすいタチなので、このことによってまた傷つくことがあるかもしれません。その時は、やっぱり自転車を漕いで行きますね。

 この街は相変わらずうるさいです。ぼくの故郷は、ひょっとするとそれほどでもないかもしれません。体に気をつけて、これからも頑張りたいと思っています。「勝手にやるがいい」。皮肉な色を含んだあなたの声が聞こえてきそうですね。

 

 どうぞバカなやつだと笑ってやってください。それでは、また。